【海外在住ライター直伝】世界6ヵ国で実際に遭った「死ぬかもしれない体験」

ドクロマーク

こんにちは。海外書き人クラブ会員のユッキーです。今回は世界各国のライターたちの「死ぬかもしれない」と思った恐怖体験を集めてみました。

まずは日本ではあまり体験できない(というか、したくもないですが)「銃器系」の話です。

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グアテマラで「ホールドアップ」

ある日バスから降りて、陸橋で道路を渡ろうとしていたところ、後ろから走ってきた人が私を追い越して止まり、

振り向くとピストル

を突きつけてきた、という経験があります。その時持っていたバッグを奪われたのですが(幸い大したものは入ってなかった)、一瞬バッグをしっかり握って抵抗してしまい、後から考えたら撃たれなくて良かったと冷や汗ものでした。

(グアテマラ・草野あずき)

 

ネパールで反政府軍と遭遇

2003年ネパールでのジョムソントレイルのトレッキング中、誰もいない山奥でマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)に遭遇

まさに映画のように機関銃が山積みになっていた。

当時ネパールはネパール政府軍とマオイストの内戦中

2003年1月29日に停戦した直後の2月だったのと、私が日本人、夫がニュージーランド人(害のない人たち)だったから撃たれなかったとガイドさんは言っていた。

(香港・りんみゆき)

 

銃器なんてものに触れることがないですから、やっぱり見せられるだけでビビりますよね。

次は「見えない敵」の侵入です。

 

南アフリカで水にあたる

私が住む村では雨水を貯めたタンクの水が飲み水なんですが、まだ嫁に来て間もない頃、間違って、ただバケツに雨水が溜まっただけの水を汲んできて飲み水として使ってしまいました。

タンクはゴミや虫が入らないようになっているんですが、私が間違って汲んだ水には蓋もされておらず、水には微生物がたくさん住んでいました。

その日の夜、寝ていたらお腹がものすごい音を立ててグルグル言いだし、嘔吐・下痢が始まりました。そして体が痙攣して、本当に死ぬかと思いましたが、村なので、まずは町まで車で行く必要がありました。道中、「もうだめかもしれない……」と思ったのが忘れられません。

結局下剤を飲んで全て出して大丈夫だったのですが、水は本当に恐ろしい。

しかし同じ水を飲んだ主人はケロっとしていたので、村で育った人のお腹は強いということも証明された1日でした。

(南アフリカ・バンベニ桃)

 

インドで臨死体験?

腸捻転になり救急車で運ばれた病院。心電図を採られていたところ、例の「ピーッ、ピーッ、ピーッ」という音が急に止み、耳に入ってきたのは「ツーーーー」という心拍が止まったことを示す音。テレビドラマのご臨終の場面を思い出し、案外あっけなく死んだんだ、ワタシと思いました。

これから結婚もするであろう子どもたちともこんな形で別れたのか?と思いきや、ドタバタと走って来た看護師と医者が「また故障か」と機械に足蹴りを食らわしました。なんだ、故障か。

死に損なって肝が冷えた私はすっかり腸の痛みも吹っ飛んでしまいました。

(元インド・パッハー眞理)

 

さすがはアーユルベータの国! ……関係ないですね。

次もまた「不注意系」ですが……「間抜けにもほどがある」編です。

 

オーストラリアの真っ暗闇の洞窟内で急降下

先日旅行先で、ある未公開の洞窟を探検していました。未公開、つまり観光案内に載っていない場所です。

中は真っ暗です。一応同行者である息子二人は懐中電灯を持っていたのですが、私の手にはありません。でも、無鉄砲さでは「坊ちゃん」にも負けないと子どものころから大評判だった私は、「反対側に抜ける穴があるか探ってみよう」と真っ暗闇の中を一人進みました。すると……。

突然自分の体が急降下するではありませんか。真っ暗闇で急降下! 「ううぉーーーーーっ」と叫びながら脳裏に浮かんだのは「やばい、死ぬ?」と「落下したのが子どもたちじゃなくて良かった」と「もう一度奥さんに会いたかったな」。……はい、意外と子煩悩で愛妻家なんですね。

奈落の底まで落ちていくような感覚だったのですが、たぶん1秒もしないうちに胸あたりまでの水たまりにザブン。見事に着水しました。

ホッ。とりあえず落下は終わった。とりあえずは死んでいない。でも安心するのはまだ早い。ここから抜け出さなければ、いずれは餓死してしまう。

一瞬、子どもたちに携帯の電波が届くところまで行って助けを求めてもらおうかと考えました。でも気温は10度くらいだったので、水温も10度くらい助けが来るのが3時間後として、それまでに凍死してしまわないか。

視界がなかろうが何が、とにかくよじ登ってみよう。そう思って、まわりの岩を手探りしてみたところ、両側を左右の手で余裕で同時に触れます。ということは、落ちたのは直径の非常に小さな穴ということになります。ほぼ垂直の岩をフリークライミングのようによじ登るのは視界もないので無理でしょうが、これなら両手両足を左右に開いた形で踏ん張りながら上がれそう。「だいじょうぶ?」と心配する子どもたちに「来るなよ。キミたちも落ちたら大変だから」と制して、よじ登ること約3メートル。なんとか穴から出られたようです。

「出られた。今からそっちに戻る」

そう伝えてから、相変わらず真っ暗な中を歩き始めたのですが……。

「また落ちたーっ」

再度落下しながらそんなことを叫んでいました。今回もまた見事に着水です。

やはりこれは視界を確保するのが先決だと考え、「ごめん。足元を懐中電灯で照らしながら、注意してこっちまで来てくれる?」

待つこと十秒。上のほうから光が見えました。幸い今度の穴も小さいようで、同じように両手両足を壁のようになった左右の岩で確保しながら、何とか上がりきることができました。

あのあとも足元に注意して洞窟から出た瞬間、「ああ、生きててよかった」とつくづく感じました。

半袖・短パンだったので足も腕もすり傷だらけ。もしも私がグラビアアイドルだったら事務所から大目玉を食らうところでした。あとお尻の打撲。そして翌日ぎっくり腰を発症。まさに満身創痍!

ちょっと「ダチョウ倶楽部越え」をしたかなと誇らしくなりました。

(オーストラリア・ユッキー)

 

そして大トリを飾るのは「死ぬかもしれない体験」の宝庫、フィリピンです。

 

フィリピンで強盗、毒蛇、崖崩れ、黒魔術

マニラ:ジプニー(乗り合いタクシー)の中で強盗。向かいのロングシート伝いに目の前に来て、バタフライ・ナイフを腹に突きつけられた。日本人ゆえに狙われた訳で、タガログで脅さず、英語で“This is Hold-up”と言われて、一瞬ドリフ状況に。取り敢えず持っていた荷物もサイフも全部もっていかれ、強盗はジプニーから飛び降りて行った。

サマール島:家から出て、バイクの助手席に座ろうとしたら、運転手が足元に絡まっていたヒモのようなモノを必死で蹴飛ばしていた。あまりに必死なので何かと思って見たら、蛍光グリーンの小さいが猛毒の毒ヘビだった。もう少し早く座っていたら私はキッチリ咬まれたかも知れなかった。

ミンドロ島:サンゴのビーチでシュノーケリングをしていて、浜に上がろうと、まだそのまま泳いで段々浅くなり、体の厚さと水深が同じぐらいになった時、目の前から銀と黒のシマシマでコブラよりも猛毒の「海ヘビ」がこっちに向かってシャーッと勢い良く泳いで向かって来たが、水深が浅すぎてどこにも逃げられない! ワッと思って観念し目をツブって固くなっていたら、海ヘビは私の肩先をスーッと通り抜けて赦してくれて命拾いした。

イフガオ地方 その1:ここの地方の山道は山の斜面を削っただけで、あまりコンクリートなどで固めておらず、また雨が多いのですぐに道路に崖崩れが起きる。私が行った時はもう日もくれて雨がかなり激しくなり、乗っていたジプニーが急停車した!と思ったら、すでに前を走っていた二、三台の車は上から来た崖崩れに飲み込まれていた。

ジプニーの運転手は「もうこうなったら(目的地の方向の)あちら側には行けない。私の家はそこなのでもう帰るから皆さんは崖のあっち側に渡って助けを待って下さい」と言い残して行ってしまった!

場所はすでに深山幽谷で雨中漆黒の闇。途方に暮れていると、他の乗客はなんと崩れた土砂の上をサッサとあちらに渡り始めた。えーっ? ちょ、ちょっと危ないよ! それ! と言いたかったが、皆さんは傘を片手にヒラヒラと歩いてアッチへ。このままだと一人ぼっちになるので、泣き泣き私も土砂の上を渡ろうとしたが、右側は谷底! インディー・ジョーンズじゃないんだから! ここを? 歩く!? って私には全く無理でした! 死ぬよ!

と、言う訳でもう恥も外聞もなく、闇の中泥の上をもう四つん這いで皆さんの後を必死でついて行き、自分が強度の高所恐怖症であることは極力思い出さないことにして、ドロドロになりながら何とか渡りきり、突然降って湧いたサバイバルを果たしたのでした……。

イフガオ地方 その2:10年ほど前、この地方ではまだまだ生活の中心に「黒魔術」があった。大事な決め事があると、御先祖様に相談する為に、「ムンバキ」と呼ばれる黒魔術師が生け贄を使ってご託宣を得るのが風習として生きていた。

私が奥地の村でライステラスから採れる稲わらなどの天然繊維の仕事の為に村人の協力が必要となり、それを受けてその生け贄の儀式が行われることになった。

時はすでに夜の10時も回っており、村の集会所でそのムンバキは儀式を執り行い始め、だんだんとトランス状態に陥っていって御先祖様たちとのチャネリングが始まった。

それを受けて村人達は生け贄の豚(もちろん私の会社持ち)をかなり残酷な手法で捌き(豚の悲鳴が御先祖を呼ぶ)、ムンバキの目の前で腹が裂かれて、その肝臓と胆嚢の具合で、私への協力の是非が判断されることに……。

その時私は、ふと気づいたのだが、そのご託宣が吉と出れば良いが、もしも凶と出れば、この人達は元々首狩り族……。

しかも考えたら村人以外は私一人が異邦人……。「ムムムっ、いかん! 凶と出た!」と言われて、一斉にコチラを睨まれたら、その後何が……と想像しただけで背筋に冷たく走るものが。その様な私の焦りをよそにムンバキは、腹の血の海の中から取り出した紅い肝臓とターコイズブルーの胆嚢がチラチラ揺れるロウソクに照らされて一同の緊張が走る中、ゆっくり深くうなづいて……私は幸いにもまた命拾いしたのでした。

(フィリピン・Okada M. A.)

 

「死ぬかも体験」のいいところは、「ああ、生きていて良かったぁ」と実感できる点。でもあまり体験したくないですよね。ちょっと間違ったら死ぬかもしれないんですから。

【文・海外書き人クラブ ユッキー】

 

(「海外在住ライターを使ってみたい」と思われている方。「海外在住ライターになりたいと思われている方。耳寄りな情報があります。ぜひこのページの下のほうまでご覧ください)



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