ボルネオ地蔵探検隊 でも見つけたのは……

みなさんは東南アジアの赤道直下に浮かぶ「ボルネオ島」をご存じでしょうか? グリーンランド島、ニューギニア島に次ぐ世界第3の大きさの島であるとともに、インドネシア、マレーシア、ブルネイの3ヵ国の領土があるちょっとユニークな島です。

こんにちは。マレーシア・ボルネオ島在住の海外書き人クラブ会員のデューク建川です。今日はそこで見つけた「地蔵」にまつわる冒険をお伝えします。

ボルネオのSNSで出回った、とあるお地蔵さんの写真

2016年からポルネオ島のマレーシア領サラワク州に住む私のもとに、2021年の秋ごろ華僑系マレーシア人の友人がある写真を送ってきました。それは小さなお地蔵さんの写真。彼が参加するSNSで話題になっているというのです。

写真に一緒に写りこんだ人の足と比較すると高さ30センチくらいでしょうか。その友人がいうには「これは旧日本軍が宝の埋蔵場所を示すために置いたものかもしれない」とのこと。

えっ、そうなのかっ! とビックリするようなことはこの地に長いこと住んでいるとありません。こうした眉唾ものの「宝探しネタ」は南方の地ではいまだに絶えないからです。

私は彼に「それは亡くなった若い人の霊を慰めるためのもので、埋蔵金とか全然関係ないよ」と教えました。

でもちょっと気になることがありました。この地蔵、だれがどんな目的で置いたのかということです。

そこで、それが見つかったという場所までお地蔵さんを探しに行くことにしました。

 

「サラワクの母」の証言

じつはサラワク州に長く住まれていて、現地在住日本人たちから「サラワクの母」と慕われているSさんから「ボルネオ島各地には日本人墓地のほかに、慰霊のための神社の鳥居とかお地蔵さんもある」と以前聞いたことがありました。

そこでSさんにお地蔵さんの写真を転送してみたところ、なんと「懐かしいです。そのお地蔵さんがまだ残っていたとは……」という返事でした。

それはある戦没者の家族が数十年前に慰霊に訪れたときに日本から携えてきて、戦地に近い川の畔の丘の上に設置したものなのですが、その当時慰問団のツアーガイドを務めたのがSさんだったのです。

Sさんは今では場所の詳細は覚えていないけれど、マレー民族が居住する「Beluru(ブルル)」という名の山間の集落で、川に面した丘に建つ家の横に設置したというのです。そんなストーリーを聞くと、がぜん興味が湧いてきます。

その村は私の住んでいる海辺の街ミリからクルマで1時間ちょっと。通訳してくれる現地出身の若い友人といっしょに、マイカーで出かけてみることにしました。

 

お地蔵さんの場所を訊いて回ると……

どうやらそれらしき川沿いのカンポン・マレー(マレー人種の人たちの集落)到着。さっそく川の畔の道端で立ち話をしていたおじさん(じつはその人が集落の長でした)に、お地蔵さんの写真を見せて聞いたところ、「知らない。そんな昔のこと」とつれない返事

ボルネオ島にて

左のバイクに乗っているのが集落の長。右手前が筆者

市場にもどって手当たり次第に人々に訊き、インターネットセンターの職員に尋ねても誰も知りません

地区の図書館に行ったらなにか手がかりや資料があるかと思ったが、あいにくコロナで閉鎖中

そのあと通りがかった丘の上の華僑系の人たちの墓地になにやら小さな石像が並んでいたので、ひょっとしたらと寄ってみたがそこにもお地蔵さんはいません

ところが長屋の自治会長さんのようなことをやっている人が、「以前住んでいたところにある共同墓地の隣で、数十年前まで毎年日本から人々がやってきて供養の行事をしていた」と教えてくれたのです!

普段はもう誰も訪れることはないそうですが、「翌月にはみんなでお墓参りをする日があるから、その日に来れば案内しましょう」といってくれました。

 

お墓参りで知った新事実

そしていよいよ墓参りの日。長屋に住む数十人が総出で向かうとのことですが、そこまでの道のりはかなり荒れていて完全オフロード仕様の四輪駆動車でないと無理とのことで、私も自治会長さんの車に分乗させてもらいました。

ボルネオ島の未舗装の山道

未舗装の山道を進む

雨でぬかるんだ凸凹の山道を15分くらい行き、墓地に到着。するとなぜかまわりは造成作業の真っ只中。

この工事は今日墓参りりに来た数十人の誰も知らなかったとのこと。墓地のギリギリまで重機が迫っていて、自治会長さんは「その先に古い埋もれた墓があるはずだからここがストップラインだ」と工事の人に教えていました。

自治会長さんが、お祖父さんに訊いたところによると「ここで第二次世界大戦中に激しい戦闘があり、連合軍に破れた日本軍兵士たちの亡骸が何体かはわからないがこのあたりの木の根の間に葬られた」とのこと。

ところが戦争から75年以上過ぎた今、墓標代わりのその木は切り倒されてしまいました。

ボルネオ島の造成

後日、自治会長さんにまた会って、あらためてお話を聴きました。日本兵の亡骸を埋葬してくれた彼らの先祖は、実は数百年前までは森の奥に暮らす勇敢な戦士たちとのこと。同じ戦士である旧日本兵のために、後年になっても場所がわかるようにと目印となる巨木のもとに葬ってくれたことに、私はなんだか武士の情けのようなものを感じます。

右から長老さん、墓参りにも同行した神父さん、筆者

戦後しばらくの間、毎年日本から戦死者の家族や戦友の方々が慰問に訪れて、その木のもとで供養をしていたと自治会長さんはいいます。

慰問団の人たちは毎年、長屋の子どもたちへの絵本やおもちゃをたくさん携えてきて交流が長い間続きましたが、近年は途絶えてしまったそうです。そこで私は翌月のクリスマスには絵本やおもちゃを持って行くことにしました。

結局お地蔵さんは発見できなかったけれど、ボルネオの森の奥で人の温かさを見つけたという話です。(文・写真(トップの画像を除く) デュークたてかわ)

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