フィリピン大統領、ロドリゴ・ドゥテルテによる麻薬犯への容赦なき対応。諸外国では「独裁者による常軌を逸した行動」のようにとらえられていますが、果たしてその見方で正しいのでしょうか。
海外書き人クラブ所属、フィリピン・マニラ在住ライターのOkada M. A.が「本当のところ」をレポートします。
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いまひとつ切込みの浅い報道が続くフィリピンの麻薬戦争
フィリピンの16代大統領、ロドリゴ・ドゥテルテによる超法規的な現行犯射殺許可を含むフィリピン国内での麻薬戦争は世界的な話題となりました。それはあたかも時代錯誤の独裁者による常軌を逸した行動としていつも世界に報道されています。
しかしそれがそれなりに民主的な直接選挙によって選ばれた新大統領の、公約の実行に伴っているものでもあり、しかも国民の支持率は現在まで高いままであるという事実があります。それが世界中の報道機関にとって不可解であり、その不可解さが解消されないまま、歯切れの悪い報道が続いているという状況です。
フィリピンの国民がドゥテルテを支持し続ける不思議
しかしそれほどフィリピンの国民は、悪事をあえて支持するほど愚かな国民なのでしょうか? あるいはドゥテルテの選挙期間中のニックネームである「ダーティ・ハリー」のように、法を無視した正義感に拍手をおくるような、フィクションを現実と混同するような幼稚な国民なのでしょうか?
恐らく報道を読んだ人々は、疑問を抱きながらも、一応その様に納得して記事を読み流すのでしょう。
なぜドゥテルテは殺すのか?
悪事を断つなら、その根源を突き止めて断罪するべきでしょう。それなのになぜ末端の売人や意思の弱い麻薬常用者をも皆殺しにしようとするのでしょう? ドゥテルテは元弁護士であるにもかかわらず法に照らすこともせず、そんな単純で剛直な力をなぜ誇示するのでしょう?
そして過去にはマルコスのような独裁者を市民の力で倒した良識のある人々が、なぜドゥテルテを支持し続けるのでしょうか? この不可解さはいったいどこからくるのでしょうか?
謎を解くカギは、フィリピンの優秀な映画の中にある
ここにそれらの謎を解くヒントがあります。その表現方法は全くのフィクションなので証拠にはなりません。しかしフィリピンに居住する者なら、私の様な外国人も含めて、それがドゥテルテの不可解さを解くカギであると認めることかできます。
今私が話題にしようとしているのは、2016年に公開され、その年のカンヌ映画祭のパルム・ドール(最高賞)の候補となり、アジアの女優としては初めてその女優賞を獲得した「ローサは密告された」というフィリピン映画なのです。(日本では2017年七月から年末にかけて全国で公開)
http://www.bitters.co.jp/rosa/
http://synodos.jp/culture/20085
この映画の主人公ローサは、マニラの何でもないスラムの、どこにでもいるようなサリサリ・ストア(よろず屋)のただのおばさんです。彼女は末端の小口の麻薬密売人でもあって、ついにある日彼女に捜査の手が伸びてきます。それは密告によつて。警察署に連行されたあと、ふつうなら収監、書類送検、裁判、投獄と進むところ、ローサの場合はそうは事が運びません。
何が始まる? 拷問? 司法取引? いや、そうでなく、始まるのは警官による違法な保釈金の闇の取引なのです。法外な要求に困惑していると、今度は卸の密売人の密告を迫られます。同じ闇の取引に引きずり込むために。そうして違法な悪事が次々と連鎖していきます。
麻薬戦争が麻薬の使用や売買の罪との闘いだけではなくなっていく恐ろしさ。
今回は映画の紹介や批評のスペースはありませんから、ここではそのエピソードだけを借りるのですが、これだけのシーンが実にたくさんの事を物語っています。もちろん没収した麻薬は闇のルートに流れて行くのでしょう。ローサの前には客だった麻薬常用者が酷い目にあったことでしょう。
しかし、お気づきでしょうか? ここではもう麻薬使用自体の罪はどこかに棚上げにされていて、誰もその事に関わろうとしていません。最初の麻薬常用者が収監されようがされまいが、更生施設に送られようが送られまいが、誰も気にとめてなどいません。さらに、麻薬売買の罪はというと、まるである種の価値を持って、債権化されたように取り扱われているのです。
ここでの罪はもう、その債権をめぐる、強要、恐喝、詐欺、違法取引、公務員の職権乱用、公務の妨害、そして時に殺人です。違法な罪の連鎖が闇の中で続くのです。
信じることができるはずの場所で待っている社会の闇
フィリピンに在住する者なら、いつもこうした社会の闇が口を開けて待っているのを知っています。
麻薬戦争と呼ばれるものが、麻薬の被害に対するだけのものではなく、麻薬常用者に対して口を開けた社会の闇で、また新しい麻薬常用者を求めるような悪の連鎖との戦いであることも知っています。
役所で、病院で、刑務所で、そして時には裁判所で、同様の闇が口を開けて待っているのです。
フィリピンの良識ある人々がドゥテルテを支持し続ける理由は、彼の断固とした行動力によって、その闇をひょっとすると払ってくれる可能性があるのかも知れないと思っているところにあります。特権階級出身のこれまでの大統領にはつなぐだけ無駄だった望みをつなごうとし、また当のドゥテルテもそれに応えようとします。それが世界から見てゆがんだ形ではあっても、そのゆがみはフィリピン社会のひずみそのものであるかも知れません。
報道のそこかしこに見えるフィリピン社会の闇
このフィリピン社会の闇は、現実にミンダナオ島の市長が実は麻薬の胴元であり、警官隊と銃撃戦まで引き起こ死亡した事件や、ドゥテルテの超法規的殺人を弾劾する議会の急先鋒である元法務大臣が、あろうことか実は麻薬組織と緊密な関係があったとして告訴され、事実無根と法廷闘争に発展するという事件など、その底しれぬ姿をかいまみせます。
しかしさらに恐ろしいことには、その社会の闇は、当のドゥテルテ大統領本人にもおよんでいます。ドゥテルテ大統領の長男であり、ミンダナオ島ダバオ市の副市長を務めるパオロ・ドゥテルテが麻薬組織との関係を疑われ、上院の公聴会が開かれました。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/post-8419.php
これに対しドゥテルテは、もしパオロが有罪の際はその殺害を支持しています。
http://news.livedoor.com/article/detail/13643430/
しかしもちろんこれは、ドゥテルテ自身も闇の住人であるかどうかを疑われることにもなりかねません。
支持者は、社会の闇を払うチャンスはドゥテルテにあると信じている
フィリピンの国民は何よりこの闇を恐れています。いまだに財閥や大地主などの特権階級にその政治と経済の殆どを独占されているフィリピンでは、この闇をを払うすべを大多数の一般の市民は知りませんでした。しかしそこにドゥテルテが突然現れて、いちるの望みを託せるかも知れないというほのかな希望が人々に生まれたのです。
それがこのドゥテルテのブームを生んだ原因であり、ドゥテルテのあの突飛なパーフォーマンスを生む理由でもあります。しかし、それが一体どこに向かうのかは、誰も知らないというほかはありません。
※この麻薬戦争で最も有名な「ピエタ」とも呼ばれる写真を見る事ができる、マニラの放送局ABS-CBNのサイト。
※今回の写真はすべて「パブリックドメイン」のものを使用しています。
【文・ Okada M. A.】
(この記事を書いている海外書き人クラブの紹介が、ページの一番下にあります。ご発注やご入会をお考えの方、ぜひご覧ください)
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