海外書き人クラブがお届けする『死語辞典』。「1960年代」に流行った死語とは? そのうち「カ行」から始まるものの意味と用例・用法をまとめました。
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【死語辞典】は下記の単独サイトに移行しました。新たな死語も続々アップ中。ぜひご覧ください。
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「ガチョ~ン!」
植木等さんと同じ、ハナ肇とクレージーキャッツのメンバーである谷啓さんが広めたもの。利き手を顔の横に持ってきて、半分開き(「パー」が満開、「グー」がつぼみだとしたら、五分咲きが目安)、「ガチョ~ン!」と言いながら前後に数回動かすのが正統派。
↑ この記事を発表後、「本来は手ではなくカメラが前後に動くもの」というご指摘を受け、ユーチューブを確認したところ確かにそうやっている映像が残されていました。
用法は特になし。現れていきなり「ガチョ~ン!」、何の前触れもなく「ガチョ~ン!」、前後の脈略なく「ガチョ~ン!」。雨の日も「ガチョ~ン!」。風の日も「ガチョ~ン!」。たのしいテレビがある日も「ガチョ~ン!」。(←田原俊彦さんの1985年のヒット曲「It’s BAD」を参考にしました)。
私が生まれる前年の1963年に誕生したフレーズ。同じくハナ肇とクレージーキャッツのメンバーがつくった「わかっちゃいるけどやめられない」「ハイそれまでよ」「お呼びでない?」は自分が使った記憶はないが、「ガチョーン!」は幼稚園時代に口にしていたと思う。そういう意味ではかなり息の長い流行だった。
意味よりもノリを大切にするという点では、「フォー!」とか「ゲッツ!」とか「グー!」あたりから綿々と受け継がれる一発屋系ギャグに近い感覚がある。幼稚園児とか小学生が好むものはいつの時代も変わらないね。
みんなが真面目なときほどインパクトが強まるのがナンセンスギャグの基本。よって会社員の方は重要な会議のときに、ぜひ試してみたいマストアイテム。「遅れてすみません。ガチョ~ン!」。
学生のみんなは朝礼とか全校集会のときに、ぜひ。退屈な壇上を一気にキミのひのき舞台にしてくれる魔法の呪文だよ! 「全校生徒のみなさん。今日は私から重大な発表があります。ガチョ~ン!」。
初めて二人で迎えた朝。まだベッドにまどろむ彼女の寝起きを襲って、三十センチの至近距離から「おはよう❤。キミは寝顔もかわいいね❤。ガチョ~ン!」。
いつか「全日本ガチョ~ン大賞」を開催したいね。「ガチョワン・グランプリ」でもいいけど。
カワイコちゃん
「かわいい子」に、女の子の名前につける「ちゃん」を合わせたもの。意味も同じ。その後「困ったちゃん」とか、いろいろ展開された。
ギャフン(と言わせる)
参らせること。徹底的にこらしめること。
用法は「あいつめ、いつかギャフンと言わせてやる」とか。たいていの場合、相手をギャフンとは言わせられないで、いつも自分がギャフンと言い続けるんだけどね。世の中、弱肉強食だから。
金ピカ
「金色でピカピカ光っている」こと。成金的というよりも、この時期はまだまだおもちゃもブリキだったりして、金メッキ塗装みたいなものが珍しかったのではないだろうか。特に幼稚園児である私たちにとっては、金色のものは本当に高嶺の花だった。
あと1992年に大阪支社勤務になったとき、「何や金ピカのモン、身につけとかんと落ち着かんねん」という女の子たちのファッションに度肝を抜かれたなあ。その日、金色のものをまったく身につけていないと落ち着きがなくなって、挙動不審になるのですぐにわかった。今の子がケータイを忘れて外出してしまったときと同じだね。
ゲバ
学生運動による「武力闘争」のこと。「最終的に機動隊員と小競り合いまたはもっと本格的な闘争になるデモ」のこと。暴力という意味のドイツ語「ゲバルト」の略。60年代の羽田闘争とか安保闘争とか言って、学生たちがよく機動隊と武力衝突していたんだね。
この「ゲバ」の必需品が角材。「ゲバ棒」と呼ばれた。ヘルメットも必須。なんたって警棒とゲバ棒で本気で殴り合うわけだから。あと粉塵マスクまたはハンカチやスカーフで顔の下半分を覆った。粉塵だけでなく、いわゆる「面が割れる」のを防ぐ意味もあったのだろう。
デモ隊から機動隊へは「火炎瓶」が投げられ、機動隊からは「催涙ガス」のお返しが。大学も学生たちが立てこもり、机やら椅子やらを積み上げた「バリケード封鎖」をされたりして、講義や入試が行われない大学もあった。
ただ学生運動がだんだん過激になり、「過激派」と呼ばれる集団が生まれたりして来ると、「これはちょっと違うぞ」と感じた人たちが離れていき、やがて下火になった。
「迷惑だなあ」と感じる一般市民も多かったと思う。左卜全とひまわりキティーズが歌った「老人と子供のポルカ」(1970年)は子どもたちが「やめてケレ(「やめてくれ」の方言)」と歌うのに続いて、左卜全さんというおじいちゃんが「ゲバゲバ~」と合いの手を入れるというもの。流行った当時まだ幼稚園から小学校に上がる時期だった私はタイミングがずれ気味の「ゲバゲバ~」とその音の響きを単純におもしろがっていたのだが、この「ゲバゲバ~」は「ゲバ」のこと。つまり「ゲバはやめてくれ」と老人と子どもが訴えるという内容。
ちなみに二番の合いの手は「ゲバゲバ~」ではなく「ジコジコ~」。当時は「交通戦争」とか言われるほど、交通事故での死者が多かったことから。三番は「ストスト~」。当時はストライキで電車の運行が一日中とかそれ以上行われないということが春闘という賃上げ交渉のときによくあった。今の若い人には想像もつかないだろうね。
安保闘争とか全共闘とかに関しては死語というか、当時の特殊用語がたくさんあるんだけど、茶化して書けないので紹介は「ゲバ」くらいにしておく。
グラサン
ジャズマンや芸能人が、言葉をひっくり返して使う「ズージャ」な言葉の中には、一般人に使われるようになったものが多いよね。「サングラス」のこと。
「グラサン」っていう言葉が一番似合うのは、形で言ったら金縁の「ティアドロップ」、レンズの色は「黒」、人なら「宇崎竜童さん」ね。
クリソツ
「そっくり」のこと。これも「ズージャ」な言葉。
たとえば「三倉茉奈と三倉佳奈って、クリソツじゃない?」「一卵性双生児だよっ!」とか、「蒼あんなと蒼れいなって、クリソツじゃない?」「一卵性双生児だよっ!」とか、「ザ・たっちのかずやとかずや、クリソツじゃない?」「一卵性双生児だよっ!」とか。ええっと他には……。
正直に告白すると、マナカナちゃんは甲乙つけがたいほど好みだった。
ゲバ
学生運動の「武力闘争」のこと。「最終的に機動隊員と小競り合いまたはもっと本格的な闘争になるデモ」のこと。暴力という意味のドイツ語「ゲバルト」の略。60年代の羽田闘争とか安保闘争とか言って、学生たちがよく機動隊と武力衝突していたんだね。
この「ゲバ」の必需品が角材。「ゲバ棒」と呼ばれた。ヘルメットも必須。なんたって機動隊の警棒と学生のゲバ棒で本気で殴り合うわけだから。ゲーセンのモグラ叩きとはわけが違うから。あと粉塵マスクまたはハンカチやスカーフで顔の下半分を覆った。粉塵だけでなく、いわゆる「面が割れる」のを防ぐ意味もあったのだろう。
デモ隊から機動隊へは「火炎瓶」が投げられ、機動隊からは「催涙ガス」の返礼が。大学も学生たちが立てこもり、机やら椅子やらを積み上げた「バリケード封鎖」をされたりして、講義や入試が行われない大学もあった。
ただ学生運動がだんだん過激になり、「過激派」と呼ばれる集団が生まれたりして来ると、「これはちょっと違うぞ」と感じた人たちが離れていき、やがて下火になった。そのあたりの気分はバンバンというフォークデュオが歌った「いちご白書をもう一度」(作詞作曲・荒井由実←現在の松任谷由実さんね)に見事に描かれている。
「迷惑だなあ」と感じる一般市民も多かったと思う。
左卜全とひまわりキティーズが歌った「老人と子供のポルカ」(1970年)は子どもたちが「やめてケレ(「やめてくれ」の方言)」に歌うのに対して、左卜全さんというおじいちゃんが「ゲバゲバ~」と合いの手を入れるというものだ。
流行った当時まだ幼稚園から小学校に上がる時期だった私はタイミングがずれ気味の「ゲバゲバ~」とその音の響きを単純におもしろがっていたのだが、この「ゲバゲバ~」は「ゲバ」のこと。つまり「ゲバはやめてくれ」と老人と子どもが訴えるという内容。
ちなみに二番の合いの手は「ゲバゲバ~」ではなく「ジコジコ~」。当時は「交通戦争」とか言われるほど、交通事故での死者が多かったことから。
三番では「ストスト~」となる。これは公共交通機関のストライキのこと。当時はストライキで電車の運行が一日中とかそれ以上行われないということが春闘という賃上げ交渉のときによくあった。今の若い人には想像もつかないだろうね。
この「老人と子供のポルカ」、すごく印象が強いのに、当時のヒットチャートの最高位は10位で、年間順位は45位だったらしい。
安保闘争とか全共闘とかに関しては死語というか、当時の特殊用語がたくさんあるんだけど、茶化して書けないので紹介は「ゲバ」くらいにしておく。
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