インドでは、2020年3月25日より21日間、国を挙げてのロックダウンに入りました。それから約10日、インドはどうなっているのか。
海外書き人クラブ会員でベンガルール(旧称バンガロール)在住のさいとうかずみがレポートします。
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驚いたことにロックダウンの宣言がされたのは、開始前夜24日の首相演説の中で。ナレンドラ・モディ首相の突然の決定に、国中が大騒ぎになったことは言うまでもありません。
インドと日本のコロナウイルス対策を比較してみます。日本は首相や与野党が集まって、「水際対策が必要」「全面封鎖は避けたい」などと毎日話し合いをしてはいますが、国として決定的な措置は出ないまま、感染者数だけ増えています。しかし、インドの場合、首相自らが国民に呼びかけるという形で、感染が拡大する前に国全体をロックダウンする決意を表明したのです。
1 モディ首相の誕生
インドのモディ首相は、2014年から現職を務めていますが、元大蔵大臣であったマンモハン・シン元首相の後任として就任しました。
経済畑出身の首相率いるシン政権は、全面的な経済改革で、インドの経済成長率を記録的な高水準に押し上げました。その結果、インドは、中国に続くマンモス市場として、世界中から注目を集めることになりました。
その功績の後、ヒンドゥー至上主義を掲げる、インド人民党出身の首相として、モディ首相が就任しました。
2 モディ首相とは
モディ首相は、インドの西に位置するグジャラート州の出身です。しかも、かなり貧しい家庭に生まれ、制度廃止されたものの「区分」として今も存在するカーストでは、かなり低い階級に所属していました。
しかし、苦学の末に州の大学を卒業し、若い頃よりインド人民党の活動に積極的に参加していました。
そんな経歴を持つモディ首相は、就任後、高度成長期を過ぎた経済を立て直し、外交政策に力を入れてきました。また国内では、インド人であることに誇りを持つように国民に訴え、自身の公的な場での発言は全て公用語のヒンディー語を使っています。
また、イギリス統治下の影響を受け、英語が第2公用語となっているため、当たり前に英語表記がされていることにも疑問を投げかけ、英語と現地公用語(インドには公用語として認められている言語が20以上あります)での表記を義務付けています。
3 突然の「宣言」は過去にも
突然、宣言をして実行してしまうというモディ首相のやり方には前例があります。2016年11月、インドに横行している袖の下(金銭を渡すことで、便宜を図ってもらう)などによる、いわゆるタンス預金を回収する目的で、「4時間後に、500ルピー、1000ルピー紙幣を廃止する」(現在のレートで、それぞれ750円、1500円)と宣言したこともあります。
世界で2番目に多い人口を抱えるモディ首相は、時に、強行姿勢で思い切った政策を打ち出さねばならないという判断ができる人なのです。
4 強行な姿勢はとるが、常に国民とともに
宣言という形で強行はするものの、首相は演説を通じて、国民に理解と協力を呼び掛けています。今回のロックダウンについても、4月3日に「ロックダウン開始から9日間を終えて」と国民に労をねぎらうメッセージを流しています。
この中で、ロックダウンを通じ、人々が本来の規律正しさを取り戻したことや他人のために奉仕するようになったことを讃えた上で、今後も、国民皆でコロナという見えない闇と闘おうと締めくくっています。また、4月5日には、9日間を過ぎたことを賞賛する意味で、夜9時から9分間灯りを消して、玄関などの入り口に立ち、ろうそくの灯やトーチ、スマホのライトを照らそうと呼びかけています。
5 時に、強行な姿勢が必要なことも
このように、インドでは首相が国民を率いる形でロックダウンが続いています。世界の他の国では、それぞれロックダウンを実施しているところ、自宅待機にとどまっているところなどさまざまですが、時にインドのような強い決断力と意思決定により、事態の急速な悪化を防ぐことはできるのかも知れません。
インドも、いまだに試行錯誤の段階とは思いますが、コロナという見えない脅威に立ち向かおうと国民の心はひとつにまとまりつつあるように感じます。
(文と写真(冒頭を除く)・さいとうがすみ)
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